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2017年4月20日 (木)

NO419、狐の尾曳伝説の館林城跡とつつじが岡公園の見廻り

4月19日(水曜)、群馬県館林をグルメの仲間と日本一美味い「うどん」を食し、館林城跡とその周辺を見廻りした。

群馬県の形が羽を広げた鶴のように見えるため、上毛かるたでは「ツル舞う形の群馬県」という札があり、群馬県人は地域を
さすのに鶴の一部に見立てた表現を用いる。県東南部に位置する館林市は、ツル舞う形の「ツルの頭」に位置する。

中世には赤井氏、長尾氏、由良氏などが館林を本拠地とし、天正13年(1590)に徳川四天王の一人である榊原康政が館林城に
入り城下町を整備した。第五代将軍徳川綱吉が城主だった時期(25万石)もあるが、現在は城跡が僅かに残るのみである。
ツツジの名勝つつじヶ岡公園や、分福茶釜の物語で知られる茂林寺、館林美術館、製粉ミュージアムなどの観光地がある。

*製粉ミュージアムの本館
明治創業期の洋風木造建築。日清製粉創業の地にある。製粉に関する展示がされ、本館には美智子妃殿下の実家・正田家の歴
史やコレクションも展示されている。P1060801
*青龍神社(青龍の井戸)
この井戸は延宝年間に突然清水が噴き上がり、中から女官姿の「青龍権現」が姿をあらわしたことから「青龍の井戸」と呼ば
れるようになったそうな。綱吉の生母「桂昌院」は井戸に「青龍権現社」を再建し、綱吉も五代将軍になると10石の朱印地を寄進した。小さな神社であるが入口には「葵の御紋」が見られる。P1060811
*館林城跡の石碑
城跡としての面影はほとんど見られない。城の建物の大半は明治7年に焼失した。現在は本丸・三の丸などの土塁の一部が残さ
れて、三の丸に土橋門が復元されている。P1060817
*土橋門
館林城は城沼を自然の要害とした平城で、別名を「尾曳城」という。城沼を城の東側外堀とし、台地を区切って城の中心であ
る本丸・二の丸・三の丸を置き、これを囲むように外郭・惣曲輪を構え、西方の台地に城下町を配置し、すべてを土塁や堀で囲んでいたそうな。P1060818
*旧秋元家別邸
この建物は明治時代後期に旧館林藩主秋元家別邸として建てらた。木造平屋建入母屋瓦葺き、庭園側がほぼ全面ガラスの引き
戸で構成され、品位のある印象を受ける。昭和5年に東京駿河台の秋元家庭園から移築された石燈篭や庭石もある。P1060835
*尾曳稲荷神社
尾曳伝説の神社。ある時、赤井照光が童子らに捕えられた孤児を救った。その夜に老翁が顕れ子狐の礼を述べ、館林が要塞堅
固の地と説き、尾を曳いて城郭の縄張りを先導した。照光はこれによって築城しその名も尾曳城と号し、当神社を奉祀したそうな。P1060869
*田山花袋の旧居P1060878
*鯉幟の里(鶴生田川)P1060826
*躑躅ヶ丘公園のツツジ(花山姫)P1060852
*宇宙つつじ
平成6年に打ち上げられたスペースシャトル「コロンビア」宇宙飛行士向井千秋さんは館林出身。シャトルに搭載されたヤマツ
ツジが「宇宙つつじ」として生育している。P1060837


2017年4月18日 (火)

NO418、吉高の大桜(ヤマザクラ)、手賀沼遊歩道の八重桜の見廻り

4月16日(日曜)、すこーし見廻り時期が遅れたかなと思いつつ、今年の吉高大桜の見廻りに出かけた。まだ花は散ることもなくマサに満開の時期であり、見物客も大混乱、桜渋滞が発生していた。毎年毎年見物の人が増えているようであり、今後どうなるのか心配するのはsa-sanだけではないようである。
*今年も元気に咲き誇っている大やまさくら。P1060771
*花びらも幼葉も何とも言えず美しい。P1060770_2
4月18日(火曜)、手賀沼遊歩道の桜を見廻りした。当然のことであるがソメイヨシノ・エドヒガン・オオシマザクラ・イトザクラ(シダレザクラ)等はすでに花の時期は終了して、新緑の葉を付けていた。今は所謂、八重桜の咲き誇り真っ最中である。残念ながら緑色の花をつける「御衣黄」は写真に収められなかった。
*関山:大輪の八重咲き、花色は紅色、紅色が濃く花びらの枚数が多い。P1060784
*松月:花色は淡い紅色、花の中心部は白く、花弁の先端には切れ込みがある。P1060788
*普賢象:花が白いので普賢菩薩が乗る白象に見立てて名付けたそうな。P1060786
*江戸:大輪で花色は紅色、手毬様の八重咲きの花。P1060790
*御車返し(ミクルマガエシ):濃いめの淡紅色、八重の花と一重の花が混じる。P1060792



2017年4月16日 (日)

NO417、市川市・葛飾八幡宮~中山法華経寺の天然記念物樹木の見廻り

4月15日(土)、春の暖かさの充満する中を樹木観察会のメンバー6名で、市川市の天然記念物樹木を見廻りした。

この日の行程:我孫子駅改札口9:00集合⇒新松戸⇒西船橋⇒本八幡→八幡不知森→葛飾八幡宮→鬼越神明寺→鬼越神明社→中山法華経寺→JR下総中山駅⇒我孫子

*八幡不知森
「この藪に足を踏み入れると二度と出てこられなくなる」という伝承がある藪。「八幡の藪知らず
」と呼ばれる。。藪の広さは方向感覚を失って迷う広さとは言えない。なぜこの地が禁足地になったか明確な根拠があるわけではない。しかし近隣の人たちはこの地に対して畏敬の念を抱いており、現在も立ち入る事はタブーであるそうな。、伝承の由来を挙げると、日本武尊の陣屋説・平良将の墓所説・平将門の墓所説・平将門の家臣の墓所説( 当地で平将門の首を守りつづけ、そのまま泥人形になった)などがある。P1060692
*葛飾八幡宮
祭神は誉田別命(応神天皇)、息長帯姫命(神功皇后)、玉依比売命。
寛平年間(889年-898年)に宇多天皇の勅命により石清水八幡宮を勧請して建立されたと伝えられ
ている。下総の国を守護する総鎮守として崇敬されている。武神であることから平将門、源頼朝、太田道灌、徳川家康など関東武士の信仰を集めた。また当宮には、33年に1度行われる「三十三周年式年大祭」が存在。本年(2017)四月に開催された。
永井荷風、幸田文、幸田露伴、伊藤左千夫、など多くの文化人に拝され、親しまれた神社として知
られる。P1060699*葛飾八幡宮拝殿P1060702
*八幡宮の千本公孫樹
国指定の天然記念物(昭和6年2月) 推定樹齢1200年。樹高23m、幹周10.8m。古来千本公孫樹には白蛇が棲むと言われ、その姿を見たものは幸福を授かり、長寿になるとの言い
伝えがあるそうな。
「宮をかこふ大き銀杏は夕空の明りに映ておほにかがよふ」伊藤左千夫P1060703
*源頼朝公「駒どめの石」
頼朝公が八幡宮に戦勝と武運長久を祈願した折、愛馬がこの石に前脚を掛けひづめの跡を残したこ
とから「駒どめの石」といわれる。手前に蹄の跡が見えるような???P1060715
*鬼越山神明寺の「小栗半官駒つなぎの銀杏」
鬼越山神明寺は真言宗豊山派。
伝説=小栗判官が故郷の常陸の国に落ちのびる際、愛馬鬼鹿毛と共に大きな沼にはまった。、小
栗判官は進退窮まり、不動明王に祈ると沼から抜け出す道が見えた。愛馬鬼鹿毛に乗り仏が示した道を進むことで死地を脱することができた。お礼の為に近くの寺を尋ね、鬼鹿毛を山門脇の銀杏の木に繋ぎ、住職にこの話をすると、命を救った不動明王像にお経をあげてくれたそうな。P1060722
*鬼越神明社
天照大神が御祭神。古老の口碑によれば、約700年前より鬼越村に鎮座した。元和2年
伊勢皇太神宮より遷宮された。現在の社殿は明治年間の造営である。御神木は黒松。P1060726
*中山法華経寺の三門
日蓮宗の霊跡寺院、大本山。鎌倉時代の高僧日蓮聖人が最初に開いた。鬼子母神の信仰厚く、子育
安産、病気平癒の祈祷、社運隆盛のための参詣の人も多く訪れる。日蓮聖人の御真蹟、立正安国論、観心本尊抄など国宝、重要文化財の建造物がある。江戸三大鬼子母神の一だそうな。(雑司ヶ谷法明寺鬼子母神、入谷真源寺鬼子母神、当中山鬼子母神)P1060732
*祖師堂(重文)比翼入母屋形式、 この日は骨董市が開かれており、境内がごった返していた。P1060754
*五重塔(重文)P1060752_2
*ケヤキの巨木(樹木の中心部は空洞で内部を鉄柱で補強している)P1060746
*泣き銀杏
日頂上人が日蓮聖人の3回忌の法要に向かう途中、他宗と法論になり、法要には間に合わなかった
。この事を父である日常上人は「他宗との法論は何時でも出来るが、3回忌の法要は2度とない会式であり許せない」と叱りつけた。日頂は銀杏の回りを懺悔のお題目を唱え泣きながら許しを乞うたが、生涯にわたり許されなかったとの言伝えのある銀杏樹で巨木である。P1060758
*橋の欄干のザクロ(柘榴)型をした擬宝珠
鬼子母神は右手にざくろ、ふところに子供を抱いている。鬼子母神がざくろを持っている訳は「ざ
くろは人の肉の味がするから、子供を食べられなくなったかわりに食べている」といわれるが違う。ザクロは1つの実の中に又たくさんの小さな実があり、その一つひとつがそれぞれに種を持っている。このことからザクロは子孫繁栄をあらわす縁起のよい「吉祥果」といわれている。鬼子母神がこのザクロを手に持つのは子供を守る神として子孫繁栄の願いを込めているそうな。P1060737


2017年4月14日 (金)

NO416、桜流しの春日大社・興福寺の桜見廻り

吉野山及び古都の桜見廻り旅、最終日4月11日(水曜)は朝から生憎の桜流しの雨に見舞われた。この日は旅程途中で、興福寺の特別拝観の阿修羅像を最終見廻りしたのち、京都に眠る親しき友の墓参りのために集団と別れた。帰りの新幹線では同乗した。

この日の行程:ホテル→近鉄新大宮駅⇒近鉄奈良駅→奈良公園→猿沢池→浮見堂→春日大社→興福寺(阿修羅像拝観)→近鉄奈良駅東口バス停⇒奈良駅 ~⇒~ 京都駅⇒新幹線帰路

*ホテル前の佐保川の桜並木
佐保川は奈良盆地を南北に流れる河川で、『万葉集』をはじめとして古歌の題材となり、奈良の歴史と深く結びついた河川。佐保川の
川沿いに植えられた桜並木は全長5キロにわたって続き、その光景は見応え充分だそうな。

P1060653
春日大社
約1300年前、奈良に都ができた頃、国の繁栄と国民の幸せを願って、鹿島神宮から武甕槌命(タケミカヅチノミコト)をお迎えした。
天平の時代に称徳天皇の勅命により左大臣藤原永手が社殿を造営し、香取神宮から経津主命、また枚岡神社から天児屋根命・比売神を招きお祀りしたのが春日大社の始まりであるそうな。平成10年、春日大社や春日山原始林を含む「古都奈良の文化財」が世界遺産に登録された。
*春日大社一の鳥居と桜P1060661
*鷺池の浮見堂と桜P1060663
*春日大社二の鳥居
「何事のおはしますをば知らねども かたじけなさの涙こぼるる」西行法師??P1060668
*春日大社前面にある、神の憑代(よりしろ)とされる「磐座(いわくら)」P1060673
*参道の巨木=ムクロジ、(4~5本のモウソウダケが樹木の空洞部を突き抜けて生えている・・・神のなせる業?)P1060678
興福寺
法相宗の大本山の寺院である。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、古代から中世に
かけて強大な勢力を誇った。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。
興福寺の国宝館が耐震補強工事により休館中であり、仮講堂で「興福寺国宝特別公開」が行われ、阿修羅像を含む八部衆像、十大弟子
像など26点が展示されていた。
*興福寺構内の会津八一の歌碑
「はるきぬといまかもろびとゆきかへり ほとけのにはにはなさくらしも」P1060681_2
*興福寺の雨にぬれる五重塔
天平2年(730)に光明皇后の発願で建立されたが少なくとも5回焼損しそのたびに再建。現在の塔は室町時代の応永3年(1426)のも
の。初層の四方に薬師三尊などの四方仏を安置している。(雨の滴で画面が不明瞭)P1060684
*(おまけ)阿修羅像Yjimage1





NO415、大和郡山の郡山城跡・西ノ京界隈の桜の見廻り(NO414、のつづき)

郡山城は天正8年 (1580)、筒井順慶の築城による城郭で、近世期には、豊臣家、水野家、松平家、本多家、柳澤家の居城となった。城郭は豊臣秀長の時代にほぼ完成し、内堀、中堀、外堀という三重の堀に囲まれた惣堀<そうぼり>の構えを持ち、城郭の中心部や武家地、城下町が配置された。県の史跡指定は、天守郭、毘沙門郭、法印郭などの城郭中心部で、内堀や石垣が良好に残っている。近年、門や櫓などが復元され、往時の威容や散策道が整備されている。
*郡山城の堀と桜

P1060598
*鉄御門の桜P1060595
豊臣秀吉の弟である豊臣秀長は、天正13年(1585)に郡山城に入城。秀長は優秀な実務派で、秀吉の参謀役として数々の功績を
立て大和・和泉・紀伊の三国、百万石を領有した。
*天守台P1060604*天守台からの東隅櫓と桜P1060605
江戸時代、郡山繁栄の立役者として活躍したのは柳沢吉里。吉里は柳沢吉保の長男。宝永6年(1709)、吉保の後を継ぎ甲斐城主となり、その後将軍吉宗の命を受け、大和・近江・河内・伊勢の四カ国を領し、郡山城主柳沢家初代となった。甲府城下に繁栄をもたらした吉里の郡山転封の際には、甲斐の領民は年貢を完納し見送る人々が絶えず、家臣を含め5286人が移住した。
*追手門(梅林門)P1060608

*追手向櫓P1060610
吉里が趣味で飼っていた金魚の養殖が始められ、明治維新後には職録を失った藩士や農家の副業としてさかんに行われた。これには最後の藩主・柳沢保申の惜しみない援助があった。そして大和郡山の金魚養殖は日本で最大の産地として発展を遂げた。
*本丸の石垣と掘割の桜P1060607
薬師寺
薬師寺は法相宗の大本山。天武天皇により発願(680)、持統天皇によって本尊開眼(697)、更に文武天皇の御代に至り、飛鳥
の地において堂宇の完成をした。その後、平城遷都(710)に伴い現在地に移された(718)。平成10年より世界遺産に登録されている。
*金堂の再建は悲願中の悲願で、昭和42年(1967)高田好胤師が金堂再建を提唱、昭和46年起工式、昭和51年(1976)に白鳳時
代様式の本格的な金堂として復興した。金堂内には中央に薬師瑠璃光如来、右に日光菩薩、左に月光菩薩がお祀りされている。P1060612
*西塔は昭和56年(1981)に復興された。東塔と比較すると鮮やかな色に目を奪われるが、奈良を表わす色使いでもある。万葉
集の一節に「あおによしならのみやこは さくはなの におうがごとく いまさかりなり」と歌われ、当時の平城京の華やかさを表現する意味もあったと思われる。「青丹良し」とは奈良の枕ことばを意味する。なお東塔は国宝で現修理中。P1060614
*会津八一の歌碑「すゐえんのあまつをとめがころもでの ひまにもすめるあきのそらかな」P1060615
唐招提寺
唐招提寺は鑑真が建立した律宗の総本山である。本尊は廬舎那仏。井上靖の小説『天平の甍』で広く知られるようになった中国
・唐出身の僧鑑真が晩年を過ごした寺で、奈良時代建立の金堂、講堂を始め、多くの文化財を有する。平成10年に世界遺産に登録されている。P1060632
*金堂
奈良時代末期に鑑真の弟子、如宝によって建立された。これは奈良時代の金堂建築で現存唯一のものであり、極め
て貴重な建造物である。内部には中央に本尊の盧舎那仏坐像(奈良時代)、右に薬師如来立像(平安時代)、左には千手観音立像(奈良)が祀られている(いずれも国宝)。このような三尊像は他に類が無い。P1060635
*会津八一の歌碑「おほてらのまろきはしらのつきかげを つちにふみつつ ものをこそおもへ」P1060645
平城京跡朱雀門
平城宮は奈良の古都平城京の大内裏。平成10年に世界遺産に登録された(考古遺跡としては日本初)。朱雀門(すざくもん)は
、古代平城京や平安京といった条坊都市の宮城(大内裏)において南面する正門。宮城の12の門のうち最も重要な門である。P1060649


2017年4月13日 (木)

NO414、日本一の桜の名所として知られる吉野山の見廻り

4月10日(月曜日)、昨日に引続き、桜を求めて吉野山から郡山城、薬師寺、唐招提寺の見廻りをした。曇り空ながら時々晴れ間も見え充実した見廻りとなった。吉野山は古来より日本一の桜の名所として知られる。

10日の行程
ホテル7:40⇒(貸切バス吉野大峯ケーブル自動車)⇒奥千本口10:00→金峰神社→西行庵10:20→奥千本苔清水→義経隠れ塔10:50→吉野水分神社11:25→上千本→静亭(昼食)→中千本東南院12:45→蔵王堂12:50→下千本黒門13:05→七曲り→吉野駅13:20⇒郡山駅15:00→郡山城跡の桜→郡山駅15:30⇒西の京駅→15:50薬師寺16:20→唐招提寺16:50→唐招提寺バス停⇒三条大路4丁目バス停→平城宮跡(朱雀門)17:15→ホテル17:30

吉野山とは、大峯連山の北から南に約8kmつづく尾根一帯を指し、大峯信仰登山の根拠地でもあり、修験道の霊場とされてきた。霊場「吉野・大峯」と「熊野三山」を結ぶ道は、「大峯奥駈道」と呼ばれ今日でも修行が行われている。2004年7月、吉野山を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が、世界遺産に認定された。吉野山は山全体が世界遺産として登録されており、吉野水分神社・金峰神社・金峯山寺・吉水神社などの世界遺産の建造物を徒歩で見廻りすることが出来る。他にも修験道の寺・ 南朝ゆかりの史跡・源義経ゆかりの地・西行や芭蕉が逍遙した文学の史跡など、歴史的な場所が多くある。

*吉野(奥千本)金峰神社
(世界遺産)奧千本にあり、杉や桜の老樹におおわれて鎮座する神社。吉野山の地主神、金山毘古命(かなやまひこのみこと)が祭神。修験道の行場で藤原道長も祈願したとされるそうな。P1060533_2
*西行庵
金峰神社からすぐ、山上ヶ岳への道を谷筋を下ると小さな台地が開け、西行がしばらく隠棲したといわれる西行庵がある。付近は奥千本で桜のころはとても美しいが、2~3週間早すぎて桜は咲いてなかった。「なにとなく春になりぬと聞く日より 心にかかるみ吉野の山」P1060538_2
*苔清水
西行庵の近くには、「とくとくと落つる岩間の苔清水汲みほすまでもなき住居かな」と西行が詠み、芭蕉が句に詠じた苔清水がいまも清らかに澄んでいる。P1060544_2
*義経隠れ塔
金峰神社境内から坂道を3分ほど下ると、義経が弁慶らと追っ手から逃れるために隠れた義経隠れ塔がある。
「吉野山 峰の白雪ふみわけて 入りにし人の跡ぞ悲しき」静御前が義経との別離をうたったもの・・・とされるが、古今集に「み吉野の山の白雪踏み分けて 入りにし人のおとづれもせぬ」壬生忠岑 があり、真偽の程は不明である。P1060550_2
*吉野水分神社
(世界遺産)水を司る天之水分(あめのみくまり)大神を主神とし、"みくまりが"御子守"(みこもり)となまって、俗に子守さんと呼ばれ子宝の神として信仰されている。社殿は豊臣秀頼が再建したもので、本殿、拝殿、弊殿、楼門、回廊からなる桃山時代の大変美しい建築である。P1060558_2
*上千本からの眺め(上千本花矢倉辺りから蔵王堂を望む)P1060562_2
*花の咲いていない桜木にヤドリギのぼんぼりP1060563_2
*中千本からの眺め(中千本辺りの山桜)P1060566_2
*金峰山寺(きんぷせんじ)蔵王堂
金峯山寺は吉野山のシンボルであり、修験道の総本山。 蔵王堂は正面5間、側面6間、高さ約34m、檜皮葺き(ひわだぶき)の、東大寺大仏殿に次ぐ木造大建築。蔵王権現像(重文)3体がまつられ、本尊は高さ7mにもおよぶ。P1060579_2
*下千本七曲りからの眺め①P1060588_2
*下千本七曲りからの眺め②P1060592_2



2017年4月12日 (水)

NO413、斑鳩の里の桜と法隆寺の見廻り

4月9日~11日と吉野山の千本桜のお花見をする山仲間との旅をして、初日は斑鳩の里界隈を見廻りした。この日は生憎の曇り空。

9日(日)の行程
東京駅新幹線7:00⇒大阪大和路快速⇒11:00奈良王子→御室山→竜田川→龍田神社→藤ノ木古墳→法隆寺境内(拝観)→JR法隆寺駅16:30⇒JR奈良駅バス⇒近鉄新大宮駅→ホテル17:30

*御室山の桜
標高82mの三室山の「みむろ」は「御室」と書き、神の鎮座する山や森を表す。飛鳥時代、聖徳太子が斑鳩宮造営にあたり、飛鳥「神名備かんなみ」の産土神を龍田に近い山に勧請され、その山を神名備山とも三諸山ともいった。頂上にある五輪塔は、神南の集落にあったもので、能因法師の五輪塔と伝えられている。能因法師の歌二首
「桜咲く春は夜だになかりせば夢にもものは思はざらまし」(後拾遺98)
「嵐吹くみむろの山のもみぢ葉は龍田の川の錦なりけり」(後拾遺366)
春の「桜」、秋の「紅葉」の名所である。

P1060471
*竜田川の桜 満開で川面には小さな花筏が出来ていた。P1060468_2
*龍田神社
聖徳太子が法隆寺建立の地を竜田川に沿って探しておられた折りに、白髪の老人が現れ「東に斑鳩が群棲している郷がある。そこに伽藍を建てよ」と告げた。「私の建立する寺をお守り下さい」とお願いすると、「吾、守護神たらん」といわれた。この老人こそが、龍田明神の化身であったという。そこで斑鳩に龍田神社を祭り、法隆寺の鎮守としたそうな。P1060477
*藤ノ木古墳
藤ノ木古墳は、法隆寺に残る記録には、「ミササキ」「ミササキ山」と記され、崇峻天皇陵と記すものもある。また発掘調査により、斑鳩地方に勢力を持ったと思われる物部氏、蘇我氏、平群氏等の諸説があるが、定説化していない。古墳は直径50m以上、高さ9mの円墳で、出土品から六世紀後半に築造された古墳と推定される。P1060482
**法隆寺
法隆寺は、現存する世界最古の木造建築として今なお飛鳥時代の有様を伝えている。1993年に日本で最初に世界文化遺産に登録され、世界的に見てもその地位は高い。境内は国の指定史跡、南大門・五重塔・金堂をはじめとする19棟の建造物が国宝に指定されている。非日常の神秘的な雰囲気が漂っている場所で、当時の栄華が伺える。

*法隆寺の五重塔と桜
法隆寺の五重塔は高くそびえ伽藍の中でひときわ存在感を示している。日本に現存する最古の塔で高さは32.5m。塔はストゥーパともいわれ、釈尊の遺骨を奉安するためのものであり、仏教寺院において最も重要な建物とされている。 P1060490
*五重塔と金堂
金堂は、ご本尊を安置する聖なる殿堂。威風堂々としたこの建物の中には、聖徳太子のために造られた金銅釈迦三尊像(飛鳥時代)が安置されている。その左右には、金銅薬師如来座像(飛鳥時代)、金銅阿弥陀如来座像(鎌倉時代)、それを守護するように樟で造られたわが国最古の四天王像(白鳳時代)が、邪鬼の背に立っている。P1060493
*五重塔の北面の涅槃像
塔の内陣には、奈良時代のはじめに造られた塑像群があり、東面は維摩居士と文殊菩薩が問答、北面は釈尊の入滅、西面は釈尊遺骨(舎利)の分割、南面は弥勒菩薩の説法などの場面が表現されている。P1060499
*五重塔の邪鬼
裳階の上に、屋根を支える獅子と「邪鬼=ジャッキ??」の彫刻がある。これらは大陸から伝わった聖獣の一種で守り神か厄除けのためである。P1060504_2
*金堂の屋根を支える象の彫刻物
仏教ではゾウは富と繁栄をもたらす神様として崇められているので大屋根に備え付けられたそうな。定かではない。P1060509

*夢違観音像(白鳳時代)
具合の悪い夢を見たり、夢心地や有頂天になって行った悪い出来事も、この観音様を信じてお願いすると、違った良い夢に変わるとされる有難い観音菩薩像。2016y02m21d_2011184751_2
*法隆寺の夢殿
法隆寺伽藍の中心をなす八角円堂の建物。天平11年(739)頃に創建された。聖徳太子の住まいであった「斑鳩の宮」の跡に行信僧都が、太子を偲び建てたという上宮王院の中心が夢殿。太子はその建物の中で思索にふけり、仏のお告げを聞いたという。内部には、本尊の国宝救世観音像(聖徳太子等身の像)が安置されている。

P1060514
*法隆寺境内・東大門前の桜P1060512
*法隆寺の長い参道の入口P1060523
*正岡子規の句碑P1060511
*奈良を愛した会津八一の歌碑
「ちとせあまりみたびめぐれるももとせを ひとひのごたくたてる このたふ」P1060489
参考:法隆寺にある会津八一の歌
  「あめつちにわれひとりゐてたつごとき このさびしさをきみはほほゑむ」
  「うまやどの みこのまつりもちかづきぬ まつみどりなるいかるがのさと」

この夜、奈良に住む旧友と落ちあい、遅くまで語らい、美味しいあてと地酒で杯を重ね酩酊し沈没。夢違観音さまにお願いしたことが良かったようである。


2017年4月 1日 (土)

NO412、都立林試の森公園~目黒不動~目黒川界隈の見廻り

月最終日の31日(金曜)、また寒さがぶり返しオマケに小雨で外出も憚る気持ではあったが、人間何かのきっかけで気が急くものである。都内の桜・ソメイヨシノが3分咲きになったとTV放映され、何故かソワソワ腰が落着かず、急遽桜見廻りに出かけた。この日は本来お仲間十数人と目黒川界隈の花見に出かける予定だったのだが、天候が侭ならないとのことで中止になっていた日である。

この日の行程:我孫子⇒北千住⇒押上⇒三田⇒武蔵小山→林試の森公園→目黒不動→八ツ目や「にしむら」→目黒川散策→目黒駅⇒上野⇒我孫子

*林試の森公園
明治33年(1900年)に当時の農商務省林野局が「目黒試験苗圃」としてスタートしたのが始まりで、その後林野庁の「林業試験場」に名称を変更、昭和53年ま使用されてきた。その後、林業試験場が筑波研究学園都市に移転した跡地を整備し、平成元年に「都立林試の森公園」として生まれ変わり開園した。
この公園は東西に700m、南北に250mと細長く、外周の園路をぐるっと一周すると45分程で廻れる。
100年以上の歴史から、幹回り3mを超える樹木が数多くあり、ケヤキ、クスノキ、ポプラ、スズカケノキなどの巨樹がある。「大クスノキ」はこの公園のシンボルツリーとなっている。また、園内には約60種の外国産樹木があり、東門の一画は外国産針葉樹の見本園的な配植になっている。樹木観察には最適の地で、なかなか見かける機会のないハナガガシ、ハンカチノキ、ヨコグラノキ、ナナメノキ、クロキなどの珍しい樹木やカイノキ、シナユリノキ、ユサン、アメリカトネリコなど外国産樹木の観察が楽しめる。P1060382
*公園内の3分咲きソメイヨシノP1060371_2
*ソメイヨシノの拡大P1060372
*ミカドヨシノ
遺伝研により「江戸彼岸」と「大島桜」の掛け合わせにより作られた桜。 花の色:白色、花の咲き方:一重咲、花弁の枚数:5枚 P1060368
*瀧泉寺(目黒不動尊)の桜
瀧泉寺は天台宗の寺院。山号は泰叡山。不動明王を本尊とし、一般には目黒不動(目黒不動尊)の通称で呼ばれる。江戸三大不動・江戸五色不動の一つ。江戸三十三箇所第33番札所。関東三十六不動第18番。「目黒」の地名はこの目黒不動に由来する。青木昆陽の墓があることでも知られる。P1060385
*龍泉寺の役行者像
7世紀後半の山岳修行者で本名は役小角(えんのおづぬ)。日本の山岳宗教である修験道の開祖として崇拝され、多くの奇跡が伝えられる。『続日本紀』に文武天皇3年(699)伊豆島に流罪された記事があり、実在した人物。大和国に生まれ、葛城山に入り山岳修行し、独自の修験道を確立した。そして吉野金峰山や大峰山、その他多くの山を開いた。その終焉は、唐もしくは虚空に飛び去ったとされている。P1060395
*目黒不動前の比翼塚
「権八小紫物」の講談・浄瑠璃・歌舞伎で著明。平井権八は鳥取藩士であったが18歳の秋、父の同僚である本庄助太夫を斬殺し江戸へ逃亡。吉原の三浦屋の遊女・小紫と昵懇となる。やがて困窮し、辻斬りを犯し130人も殺し金品を奪った。権八は虚無僧になり、鳥取を訪れたが父母が死去していたことから自首した。延宝7年(1679)、品川・鈴ヶ森刑場で刑死。享年25。小紫は刑死の報を受け自害した。「比翼塚」がつくられ、目黒不動瀧泉寺に現存している。P1060387
*目黒川界隈の桜並木P1060398
*雅叙園ホテル前の桜並木P1060400
*八ツ目や「にしむら」の鰻重
従来は店舗の奥から二階に上がり狭いお部屋で食事をしたが、商売繁盛の結果なのか、こじんまりとした洒落たお店に案内され、美味い熱燗と鰻重をいただいた。満足!P1060384


2017年3月27日 (月)

NO411、根岸~日暮里~谷中~根津・界隈の見廻り

OB会サークル・総勢26名の善男善女仲間と共に、3月25日(土曜)根岸の里~日暮の里、山手線を越えて夕焼だんだんを下りて谷中・根津までの見廻りをした。
気象庁は、靖国神社にある桜・ソメイヨシノの標本木が開花したことを3月21日(火)に発表している。沖縄を除くと全国で最も早く
、昨年(2016)と同じ日の開花宣言であるので、場所によっては花見も期待できるかと思いきや、道中はまだまだの開花状況であった。

この日の行程:松戸⇒北千住⇒日比谷線入谷駅→小野照崎神社→入谷鬼子母神→子規庵→ねぎし三平堂→羽二重団子→駄菓子屋問屋→本行寺坂→経王寺→夕焼だんだん→よみせ通り→指人形笑吉→団子坂→森鴎外記念館→藪下通り→夏目漱石旧居跡→根津神社→串揚はん亭(昼食処)→谷中居酒屋「みぢゃげど」→千代田線千駄木駅⇒松戸方面

*小野照崎神社
小野篁を主祭神とし、相殿に菅原道真を祀る。852年(仁寿2年)この地の住民が上野照崎の地に小野篁を奉斎したのが起源と伝わる。
寛永年間、寛永寺の建立のため移転、現社地に遷座した。江戸末期、回向院より菅原道真自刻の像を迎えて相殿に祀り、「江戸二十五天神」の一つに数えられた。樋口一葉の「たけくらべ」に「小野照さま」の名で出ている。百人一首の11番は小野篁である、『わだの原八十島かけてこぎいでぬと 人には告げよあまのつり舟』参議篁。P1060167
*真源寺・入谷鬼子母神
万治2年(1659)日融が当地に法華宗本門流の寺院を開山したことによる。鬼子母神を祀っていることで、入谷鬼子母神の名称で有名
な寺院である。大田南畝の狂歌「恐れ入りやの鬼子母神」という洒落も有名である。真源寺は、雑司ヶ谷鬼子母神堂、中山法華経寺とともに江戸三大鬼子母神として多くの崇敬を集めているそうな。また、入谷鬼子母神の「鬼」には角が無いことでも有名である。
良く云われる地口(洒落)「びっくり下谷の広徳寺」「なさけ有馬の水天宮」「なんだ神田の大明神」P1060188
*朝顔市発祥の碑
7月の七夕の前後に当寺院の境内で朝顔市が開かれることで、入谷の名物であることはもとより、東京下町の夏の訪れを伝える行事と
して全国的にも知られている。P1060182
*鬼子母神の正岡子規の句碑
「入谷から出る朝顔の車哉」P1060187
*本行寺坂の桜の一枝に開花をようやく見つけた。P1060363
*経王寺の山門扉に残る鉄砲玉の貫通痕
慶応四年(1868)の上野戦争のとき敗走した彰義隊士をかくまったため、新政府軍の攻撃をうけることとなり、山門には今も銃弾の痕が残っている。P1060201
*夕やけだんだんからの谷中銀座通りP1060210
*森鴎外記念館
鴎外がその半生を過ごした「観潮楼」があった土地。家屋は昭和12年に失火で焼失、銀杏の樹は昭和20年戦災でも焼け焦げたが、現在で
も生返ったあと旺盛に繁殖している。P1060212
*吾輩は猫
夏目漱石旧居跡の塀の上に猫の彫像。家は保存のために犬山市明治村に移築されている為、史蹟としてのわずかな跡地だけでさっぱりしている。P1060213
*「串揚げはん亭」の建物
大正初期に建てられた木造瓦葺寄棟屋根三階建て建物で、元々は「爪皮屋」の店舗と住居を改築し飲食店舗とした。爪皮(つまかわ)
とは下駄の先につける泥よけのカバーのことで、当時は良く知られた店だったそうな。P1060218
*写真はないが津軽の味「みぢゃげど」という郷土料理居酒屋で、有志による爺放談会を開き、日本酒の熱燗をひっかけた。弘前藩出身の女将さんと旦那さんのお話も田舎くさく面白すぎて全員酩酊。

2017年3月18日 (土)

NO410、国指定天然記念物「府馬の大クス」、県指定天然記念物「香取神宮の森」の見廻り

3月17日(金)、三寒四温の温の日に当たったと思われたこの日、樹木観察会のメンバーでマイカーを連ね香取市の天然記念物樹木を見廻りした。

この日の行程:我孫子駅前9:00集合→布佐成田屋→香取市府馬→宇賀神社「府馬の大クス」→戸田神社→香取神社参拝→「香取神社の森」→参道蕎麦屋(昼食)→佐原街並み→我孫子14:50着

*宇賀神社
宇賀神社の由緒は、宝亀4年(773)宇気母知神を勧進したことに始まる。府馬地区で一番古い神社であるそうな。
一帯は府馬城跡であり、中世この辺りに府馬氏が砦を構えていた。宇賀神社の後方は、昔この地の武士団が勝鬨の声をあげた場所として、鬨の台と呼ばれており、また鯨波台や時之台とも呼ばれているそうである。P1060310
*府馬の大クス(国指定天然記念物)
府馬の大クス(ふまのおおくす)は、千葉県香取市府馬にあるクスノキ科のタブノキの巨樹。国の天然記念物に指定されている。
府馬の高台に位置する宇賀神社の境内に生える樹高約20m、根周り約27.5m、幹周り約12m、樹齢1300年から1500年と言われるタブノキの巨樹。大正15年(1926)に「府馬の大クス」として国の天然記念物に指定された。昭和44年(1969)の調査でタブノキであることが判明。当時は俗にイヌグスと呼んでいたためと考えられている。
この高台は、平成13年(2001)に環境省の「かおり風景100選」に選定され、平成18年 (2006)には千葉県の「ちば眺望100景」に選定された。P1060308
*大クスと小グス
右のタブノキは「小グス」と呼ばれている。元もとは大クスとつながっていたが、大クスの枝が地上に垂れて根を張り成長したものである。P1060305
*戸田神社
メンバーの戸田さんと関係する神社かどうか立ち寄った。戸田氏の祖先はこの辺りまで進出していたのかどうかは定かでない。P1060318
*香取神宮
香取神宮は、祭神に経津主大神を奉り、創立は神武天皇18年と伝えられている。古来より国家鎮護の神として崇拝され、鹿島神宮と並んで「神宮」の社号をもつ。現在の社殿は元禄13年(1700)に徳川綱吉によって造営されたもので、本殿・楼門は国の重要文化財に指定されている。P1060336
*香取神宮本殿P1060337
*香取神宮御神木の杉巨木P1060343
*香取神宮の森(県指定天然記念物)
香取神宮の社叢林は、古くから信仰の場として保護されてきたため、幹周りが3mをこすスギの巨木が林立しており、イヌマキやモミ、クロマツの大木なども見られる。亜高木層にはスダジイ、シラカシ、サカキ、ヒサカキが、低木層にはスダジイ、ヤブツバキ、ネズミモチ、タブノキ、シロダモなどの常緑広葉樹が数多く生育している。スギの老齢林として県内で有数なものであり、学術的価値からみても貴重な森林であるそうな。
草木ではオニヒカゲワラビやトキホコリなどの湿った環境を好む希少種が生育し、アスカイノデ、フモトシダ、イワガネソウ、ベニシダというシダ類も多い。P1060321
*香取の森の説明版P1060322



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